DAVID BOWIE
[ In The Name Of Ziggy Guildford 1973 ]
DATE 1973
PLACE Civic Hall Guilford Surrey U.K. and more
LABEL helden
CODE DEN-012_3
SOURCE Audience+Soundboard
TYPE 2CD
PRICE ¥ 7,450
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《 Products Information 》

デヴィッド・ボウイはデビューから以来、キャラクターを設定し、それを演じることで次々に既成のイメージを覆すアルバムを発表してきた。『スペース・オディティ』はアコースティックなアルバムであり、『世界を売った男』はエレクトリック・ギターが中心であり、『ハンキードリー』は一転ピアノの美しい曲が並ぶように、これが同じアーティストのアルバムかと思うくらい、その曲調や全体を覆う雰囲気が異なるものであった。後に本人の代名詞ともなるジギー、そして白く痩せ細った公爵などのキャラ設定をし、ボウイではない誰かを演じる事で変化に性格を持たせてきた。その嚆矢となったのが火星からやってきたロックスター「ジギー」であった。

アルバム『ジギースターダスト(屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群)』は1972年にリリース。架空のロックスター、ジギーが異星から地球にやってきて、栄枯盛衰、最後にはロックンロールに殉じるまでを描いたコンセプト・アルバムで、初期から現在に連なるボウイのイメージを決定づけた代表作である。このアルバムに伴うツアーは1972年1月英国から始まった。これは今までローカル・ヒーローだったボウイが初めてアメリカ、そして世界第二の市場だった日本をツアーした最初でもあった。ツアーは長期に渡るもので、1972年から1973年7月までと、1年半をかけて大々的に行われた。ボウイが世界的名声を獲得したのもこの時期といってよいだろう。

ツアー初期は衣装もアルバム・ジャケットで着用したものを使い、比較的地味なものであったが、ツアーが進むに連れ衣装は徐々に派手になっていき、またメイクもどぎつくなるなど、世間のイメージをより中性的で異星人的なものに移行させていったのも興味深いところである。そしてツアーを通じて変遷したのは何も衣装など外見的な部分だけではない。セットリストも変化に富み、後のパッケージ化されたものと異なり、様々な曲が演奏されていたことが知られている。おそらく一般的には映画『ジギースターダスト・モーション・ピクチャー』の印象から、ジギー時代のライヴを言えば「君の意志のままに」から始まり「屈折する星くず」へ繋がるオープニング、そして最後は「ロックンロールの自殺者」で終わるセットリストが馴染みのあるところであろう。しかしツアー初期段階では様々な試行錯誤が行なわれ、「レディ・スターダスト」で始まるものもあれば、途中にレアなカバー曲を演奏した日もあれば、「スターマン」に「虹の彼方に」を挿入して演奏した日もあるなど、セットリスト、あるいはアレンジなど多岐多様、いまだにその全貌は明らかになっていない。

本作のディスク1は1973年5月27日イギリスはギルフォード公演を収録している。当時のオーディエンスの中では特別音質に恵まれている公演で、近い距離からバランス良く収録されているのが特長である。この高音質は73年ツアーの中でも最良のものの一つであろう。そして何より珍しいのは「流砂」から「火星の生活」、そして「フリーフェスティバルの思い出」の3曲がメドレーで演奏されている点である。特に「流砂」は単独で演奏されることも稀で、ほんの短い一時期でステージでこのように演奏されたに過ぎない。また逆に「火星の生活」は人気の高い曲であり、通常は単独で演奏され喝采を浴びるステージのハイライトでもあったのだが、ここではメドレーの1曲として演奏されている。そして最後はステージでフルで演奏することはなかった「フリーフェスティバルの思い出」である。アルバム『スペース・オディティ』を締めくくる壮大な曲で、タイトルといい、子供時代のセピア色の懐かしい想い出が蘇る名曲である。この3曲がメドレーで演奏されているという、非常に珍しいパターンが聴けるのが本作の最大の特長と言ってもよい。

ディスク2は同ツアーから、本編のギルフォード公演では演奏されなかったレア・ナンバーを収録している。まず最初の「My Death」は1973年1月17日英国のテレビショウでの音源である。続いて1973年2月14日バレンタインの日に行なわれたニューヨーク公演より8 曲。この時点ではまだリリースされていなかったアルバム『アラジン・セイン』より「ドライヴインの土曜日」や「アラジン・セイン」「デトロイトでのパニック」「気のふれた男優」を演奏しているのに注目である。アルバム『アラジン・セイン』は1972年12月から翌年1月のわずか2か月に満たない期間にレコーディングされているが、当然その間もツアーは継続しており、当時のボウイがいかに創作意欲溢れていたかが伺える。

1973年5月12日のアールズ・コート公演の音源では、今度は「フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年」「すべての若き野郎ども」「ユー・プリティー・シングス」の3曲がメドレーで演奏されるという、これまた非常に珍しいセットを聴くことが出来る。このようなタイプの異なる曲をメドレーにし、それが違和感がなく繋がっているという、ボウイのセンスが光るメドレーである。なるべく多くの曲を披露したい、限られた時間でそれを可能にする手段としてメドレーにしたのではないだろうか。ディスク1のギルフォード公演とわずか2週間しか開きがないのにも関わらず、このように全く異なるメドレーをステージで披露するところに驚きを感じる。このアールズ・コート公演では、さらに「プリティエスト・スター」まで演奏されているのだからたまらない。

そしてコンサートはやはりこの曲で締めくくるのがしっくりくる。1973年5月18日グラスゴウ公演より「ロックンロールの自殺者」を収録。そして最後はお馴染み1973年7月3日ツアー最終日にあたるハマースミス公演におけるビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」が挿入された「ジーン・ジニー」や「ラウンド・アンド・ラウンド」を収録している。

デヴィッド・ボウイの1973年ツアーより、レアなメドレーを含むギルフォード公演をディスク1に、そして同年のツアーからレアなナンバーを収録したディスク2。ボウイのライヴの歴史を辿る貴重な音源集である。美しいピクチャーディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。

そして最後になるが、今、ボウイが亡くなった当日、このインフォを書いている。ボウイは私の夢語る英雄であった。再発盤の帯を切り取ってテレカ・プレゼントに応募したものだった。人生に迷った時「ロックンロールの自殺者」が大いに救いになった。ニューアルバム『ブラックスター』がリリースされた、わずか3 日後のことである。ボウイがこの世からいなくなる日がこんなに早く訪れるとは思わなかった。死してとうとう灰から灰へ。ファンクからファンキーへ。謹んでご冥福をお祈りいたします。2016年1月11日。

DISC ONE
CIVIC HALL GUILFORD SURREY U.K. May 27, 1973
01. Ode To Joy
02. Hang On To Yourself
03. Ziggy Stardust
04. Watch That Man
05. Quicksand - Life On Mars - Memory Of The Freefestival
06. Moonage Daydream
07. Changes
08. Space Oddity
09. The Jean Genie
10. Time
11. The Width Of A Circle
12. Let's Spend The Night Together
13. Suffragetto City

DISC TWO
RUSSEL HARTY PLUS TV SHOW January 17, 1973

01. My Death

RADIO CITY MUSIC HALL NEW YORK Feburuary 14, 1973
02. Soul Love
03. John I'm Only Dancing
04. Five Years
05. My Death
06. Drive In Saturday
07. Aladdin Sane
08. Panic In Detroit
09. Cracked Actor

EARL'S COURT LONDON May 12, 1973
10. Wild Eyed Boy From Free Cloud - All The Young Dude - Oh You Pretty Things
11. Prettiest Star

GLASGOW APOLLO GLASGOW May 18, 1973
12. Rock'n Roll Suicide

HAMMERSMITH ODEON LONDON July 3, 1973
13. White Light White Heat
14. The Jean Genie - Love Me Do
15. Round And Round

 

 

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